心の隙

日も長くなり、桜のつぼみもほころび始めました。皆様いかがお過ごしのことでしょうか。いよいよ花見の季節がやって来ました。甲子園では春の高校野球も大詰めです。

そんな1年で一番わくわくする季節の到来ですが、かつての甲子園の星は今、どんな気持ちで入院してるのでしょうか?

宇部商

昭和60年の夏の全国高校野球大会で、我らが山口県代表の宇部商業が決勝に進出しました。山口県勢の決勝進出で思い出すのは、西鉄ライオンズに入団し輝かしい記録を残したにもかかわらず、黒い霧事件で球界から永久追放処分を受けてしまった池永正明。昭和38年大投手池永を擁する下関商は春夏連続決勝に進出し春は優勝、夏は惜しくも優勝を手にすることができなかった。

以来昭和47年の柳井高校、昭和49年の防府商業ともに決勝で敗れ涙を呑む。そしてこの昭和60年の宇部商の決勝進出には山口県民の実に11年ぶりの願いがこもっていたのです。

PL学園

対戦相手は桑田、清原を擁するPL学園、当然下馬評もPL有利でしたが、試合が始まってみると、2回の表、先手は宇部商1点。4回5回とPLが清原のホームランなどで1点ずつ奪い逆転、6回表宇部商が2点返し逆転。スコアは3対2、まさに手に汗握る好ゲームだったと言えるでしょう。

1点差で迎えた6回裏PLの攻撃は4番清原。彼はこの日2本目のホームランを打ち、試合を振り出しに戻したんです。そして9回裏PLの劇的なサヨナラヒットで山口県勢11年目の悲願はまたも叶えることができなかったのです。

あーあ清原

ときは30年過ぎ、この清原が覚醒剤で逮捕されるなどとは。もちろんあの甲子園決勝以来、にっくき清原と思っていましたが、その清原が何でまた覚醒剤なんかで人生を棒にふってしまったのでしょうか。

西武時代に甘やかされたとか、巨人に移ってからはプレッシャーがひどかったなど色々言われていましたが、突然筋トレを始め野球の身体を格闘技の筋肉にするなど誤った方向に進み始めたのがここら辺の原因かもしれません。

清原の問題点

誤った筋トレで格闘技の身体を作ることにより、野球で必要な筋肉は悲鳴を上げる。結局巨人に移籍してからというもの、その誤った肉体改造により怪我が増え、故障がちになり本来の彼の成績を残すことができなくなってくる。そうすると巨人ファンからは、「高い金を払って手に入れたのに何もできない4番じゃないか」と白い目で見られ、そのうち大バッシングも始まる。

そして突然のピアス事件。さらに真っ黒に日焼け。とても野球選手が進む道ではありません。そして引退後は刺青を入れたり、ヤクザまがいの白スーツ姿。そして容姿的には、ヤクザの若頭が完成です。

結局彼は、外見を強そうに見せたかっただけだったのではないでしょうか。現役時代晩年は「番長」とも言われていた清原。巨人在籍時は球団からマスコミに「番長」はやめてくれとの異例のお願い。巨人にはそんなヤクザまがいの選手は困りものだったからでしょう。しかし、当の清原は自分を強く見せ「番長」になりたかったのではないだろうか。

「番長」じゃないのに

決して清原は「番長」でもなんでもなかった。西武時代デッドボールで激怒してピッチャー目掛けて突進しましたが、お尻アタックですよ。ほかのゲームの乱闘騒ぎでも、清原が手を挙げたところなんか見たことありません。

それよりも、周りの同僚たちにいろいろ気を配った。先輩には礼儀正しく、後輩には色々教えてあげたと言う話があります。本当は根が優しく、親切で、みんなから好かれる男だったのでしょう。彼を慕う選手たちは数多くいます。

なぜ彼が自分を強く見せたかったのか。そんな彼の気持ちの優しさ、弱さを隠したいというのが理由だったかもしれません。強く見せなければ、自分がやられる。そんな脅迫観念のようなものがあったのかもしれません。

心の隙

結局、彼の不幸はそんな彼を諌める友人を持てなかったことにあるのでしょう。

ここまで行くと誰も彼に近づこうとはしない。そんな外見的に強そうに見せようとする心の弱い清原に、嗅覚の鋭いプロの悪い勢力が近づかない訳はない。そして暴力団の資金源となる覚醒剤が彼を蝕むことになる。

こう見ると彼も哀れなものです。この清原に限らず、人間、心の隙が一番危うい事態を招くものです。 この逮捕を「いい」きっかけとして、過去とは決別するべきでしょう。

まずはヤクザまがいの容姿を正しなさい。髪は七三分けにしなさい。髭は剃りなさい。日焼けやめなさい。ピアスもやめて、入れ墨消しなさい。そして野球のことだけを考えなさい。そうすれば本来の優しく紳士的な清原になるはずです。

合格おめでとう!!

受験にしてもこの心の隙が一番困り者です。

今年の受験では、夏まで高校野球に明け暮れていた高3生T君。彼は、野球に敗れたあと、毎日BRAIN に早くからきて勉強。英語なぞまったく出来なかったのに毎日単語単語。数学はめきめき力をつけ…。といっても高校生活、野球に明け暮れ、現役合格など私も本人もご両親もまったく考えていませんでした。

案の定、不合格の通知ばかり。最後の発表の日に、東京造形大学教授であるお父上と浪人生活の勉強の進め方を話すために飲み屋で面談する手はずを整え、こちらは時間割などの提示をしようとしていたところ「青山受かりました」とのこと。えーーーーーーーー。ということで浪人生活の相談が宴会に変わりました。

毎日欠かさずに、早くからBRAIN にきて勉強していた浪人生Y君も見事第一志望の北海道にある酪農学園大学獣医学部に見事合格、しかも特待生です。彼はきっと私の夢(BRAIN 通信2009年102号をご覧あれ)を叶えてくれるはずです。

高校受験のMさんもインフルエンザにはかかったものの他は休むことなく真面目にBRAIN に通う。教師がいなくても一生懸命BRAIN で勉強し第一志望に合格!

石にかじりついてでも

彼らの合格はとても嬉しかった反面、第一志望に合格出来なかった生徒もいました。共通して彼らに言えることは、やはり「欠席」が多いのです。

志望校に合格するためには、まず最も必要なのは、その学校に入りたいという気持ち。そしてそのためにはどんなことをしてでも入りたいという執念が必要です。ちょっと学校が忙しくてBRAIN 休む、部活が大変でBRAIN 休む、疲れたからBRAIN 休む…。こんな姿勢で合格は可能でしょうか?

最後の1分しかBRAIN 授業を受けられないとわかっていても、必死で走って遅刻してでもBRAIN に来る、そんな姿勢が必要なんではありませんか?

1日くらい休んでもそんなに変わらない、などという甘え、つまり心の隙を悪いものが突いてくるのです。「石にかじりついてでも」という言葉、それが死語になってしまった生徒に合格は来ないということが明確にわかった今年の受験でもありました。

心の隙をなくし、謙虚にひたむきに勉強に向かうBRAIN 生であって欲しいと思う今日この頃でした。

※併せてコチラもどうぞ→2008年度92号

早速ですが、この原稿を読んだ佐藤先生から次のようなお手紙をいただきました。

『中原先生に感化されて― 佐藤の思い』

中原先生。私は、BRAIN 通信復刊に心を熱くしている一人です。同時に、BRAIN を長く共有してきた身として休刊の責任も感じています。

今、小林ケント(卒業生)ママと宴をともにしたことを思い出しています。当時はBRAIN 通信を通じたやりとりがあったそうですね。ひとつの試みとして、中原先生に返答のようなものを出してみたいと思います。拙い文章ですが、一読していただければ幸いです。
佐藤

ヒーローの持つ責任

どうしてここまで清原覚醒剤事件が話題となるのでしょうか。その原因が今回のBRAIN 通信を読んで理解することができたように思います。

たとえば、工藤公康や山本昌は40歳を越えて現役を続けていた。当時の人々は彼らを「中年の星」と呼んだ。「彼らは自らの肉体の衰えに抗いながら、必死に戦っている。だから私も頑張ろう。」と同世代の心の牽引役のような役割を果たしていたのだろうと思います。

清原の場合には、高校時代から甲子園の英雄であり、西武・巨人・オリックスと球団を渡り歩き、無冠の帝王と呼ばれながらも、絶大な人気を博した。

当時野球に明け暮れていた球児たち、球児たちを応援していた県民、野球ファン、いや全国民がPL学園KKコンビの憎いほどの強さに魅了された。宇部商を応援していた中原先生、そして当事者である球児たちの敗れた思いは応援に変わっていたはずです。

清原の活躍は、敗れたものの勲章となり、そうして清原は人々の心の中にさえ生きていたのではないでしょうか。だからこそ、私たちの中には大きな失望があります。怒りもあります。言い表せない感情でいっぱいです。しかしそれは、みんなが清原を愛していることに基づいていると思うのです。

志望校合格が終わりではない

3月でBRAIN 受験生の志望校・受験校の合否が決定した。合格した生徒は粛々とBRAIN に通い、みずから鍛錬に励んでいました。一方で、合格できなかった生徒は休みが多かったという。がむしゃらに志望校に合格したいという気持ち・姿勢の重要性を中原先生は説いています。

私が言いたいことは、結果がすべてではないということです。どのような結果であれ、今回の結果をきちんと省み、今後の生きる糧としなければなりません。それこそが受験の意味かもしれません。

今回は合格できたとしても(そのために多大な努力を惜しまなかったでしょうが)、ひとたび「心の隙」が生まれれば悪いものはどこからともなくやってくる。新しい世界に飛び出し、新しい目標を打ち立て、BRAIN で得た経験とBRAIN 生としての誇りを胸に日本を背負って行ってほしいと感じています。

逆に今回は不合格だったとしても、それは大きなチャンスです。自分自身で結果が得られなかった原因を探り、その分析に基づいて自分自身を変革し、成長していくことができるはずです。原因のひとつを中原先生はこのBTIで提示しています。

良薬は口に苦い。耳障りは悪くても、真摯に中原先生の言葉を受け止め、その言葉の背後にある思いや意味を深く考えてほしい。(そうだそうだ…中原談)

BRAIN TRUST INFORMATION  No.136