チキンラーメン万歳!!

新年、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

さて、私にとっての新年は、ある人物の衝撃的な死から始まります。2007年1月9日付の米紙ニューヨークタイムズは社説で「人類の進歩の殿堂内に不朽の地位を占めた」と絶賛し、彼の作った商品を「ホンダのシビックやソニーのウォークマンなどと並ぶ」「あるいはチームで開発したそれらとは違い、個人で開発したという点でさらに偉大な」日本人が行った優れた開発であると紹介しています。そうです、日清食品の創業者安藤百福の死です。

事業と勉学の両立

明治43年に生まれ、幼い頃に両親を亡くし、繊維問屋を営む祖父母のもとで育つ。昭和7年、父の遺産を元手に繊維会社を設立。戦時下の数々の規制、統制の中、光学機器や精密機械の製造に取り組む一方で、立命館大学専門部経済学科に入学。

安藤語録
「社長がたまたま学校へ通っているということではあまり自慢することはできない」

事業の再開と一杯のラーメン

戦後、すべては灰燼に帰したが、彼は屈することなく事業を再開する。飢餓にあえぐ人々を見て、製塩、栄養剤の製造。大阪梅田の駅裏で、寒風にふるえながら屋台に並ぶ長い行列を見たのも、その頃だった。

安藤語録
「一杯のラーメンのために、人々はこんなにも努力するものか」

厚生省はアメリカから送られた小麦粉を使うためパン食を奨励する。食の欧米化が進み、日本の農業を圧迫し始めたのも、このことが原因だった。今になって「食料自給率が低い」などと政府は騒いでいるが、やっぱり日本の政府は昔から目先のことしか考えなかったようですね。

安藤は厚生省の職員に問題提起。「東洋の麺食の伝統を。麺食をなぜ粉食奨励に加えないか」。すると、答えは「それほど言うなら、ご自分でやったらいかがですか」。いつもあほな役人。

不屈の精神が生んだ「チキンラーメン」

昭和32年、「名前だけ」貸して理事長に就任した信用組合の経営が悪化、遂に倒産、事業の一切を失い、池田市の自宅のみが残る。しかし、彼は負けない。すべてを失った彼に、昔の思いが甦ってくる。終戦直後に梅田で見た屋台に並ぶ行列、そして厚生省役人の言葉。ついに彼は「おいしく、保存がきき、簡便に食せて、安価・安全な」麺を開発するために裏の小屋にこもる。試行錯誤の日々が始まった。昭和33年8月25日、ついに「チキンラーメン」を商品化することに成功した。

「カップヌードル」と「あさま山荘事件」

昭和41年、アメリカへの進出を考えた安藤の悩みは、アメリカには「どんぶり」がないことだった。そこで、彼の素晴らしい観察眼からカップ麺の発想が生まれた。どんぶりを持たないアメリカ人がチキンラーメンを二つ折りにして紙コップで作っていたのだ!! こうして、昭和46年9月18日に世界初のカップ麺「日清カップヌードル」を発売。日清カップヌードルはアメリカで生まれたものだった。

しかし、このカップヌードルが日本国内に、爆発的に売れたのは昭和47年、世間を驚かせた「あさま山荘事件」のテレビ中継のおかげだった。厳寒の中、湯気の上がるカップヌードルを食べる機動隊隊員の姿が映され、視聴者から、「何を食べているのか」といった質問が殺到、これが宣伝となった。

安藤百福死す

新年1月5日、急性心筋梗塞のため死去。96歳。1月2日にはゴルフを楽しみ、亡くなる前日の4日には仕事始めで30分の訓辞を行い社員らを激励、昼休みには社員と餅入りのチキンラーメンを食べたという。

安藤語録
「長寿・健康の秘訣は週2回のゴルフと毎日食べるチキンラーメン」

何と素晴らしい人なんでしょう。では、彼は何をしたかったのか? それは、人々の幸せを作りたかったんじゃないでしょうか。財産を失って、彼は庶民の苦しみがわかります。「彼らに一杯のラーメンを食わせたい。」この固い意志が、彼の人生ではなかったのではないか。

塾の全廃

昨今またまた、教育関係のお偉方がアホなことを言っています。しかもノーベル賞までとった人です。「塾の全廃」だそうです。やっぱり理系の人はものの見方が狭い人が多いですね。そもそも、教育とは江戸時代から「米百俵」の話もありますが、国力を高めるために、というか幕府に対抗するためにが正解かもしれませんが、各藩は教育に力を入れていました。一般庶民にも、寺子屋が広まり、江戸末期には全国で1万件もの寺子屋がありました。

その結果、明治維新後の日本の国力は諸外国をも驚嘆させたのです。さらに第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたわが国の復興は、驚異的を超える化け物扱いをされていきます。欧米諸国が100年かかった社会福祉も、日本は3分の1の短期で形を整え、まるで社会主義国家の呈をなすように見受けられます。

両刃の剣

しかし、教育は「両刃の剣」でもありました。戦後誤った教育のために、誤った民主主義、平等主義が広まります。そしてその行き着く先は、第二次世界大戦を引き起こした戦前の衆愚制、全体主義です。国家が、第二次世界大戦の勉強をわざと避け、しっかりと反省しなかった結果が、この表面上の民主主義、平等主義なんです。

何でも平等なんですか? 塾があるから学力格差? 塾があるからそれに対抗して学校も難問を出す? これは、朝日新聞に載ってたあまりにも短絡的、ヒステリックな「塾全廃」を主張する主婦の投書内容です。投書を選考するのは朝日新聞なので、その主婦の投書は朝日新聞の意見とみなすべきでしょう。教育は何のためにするんでしょう。そういう思考がまったく欠落しています。

人を育て、その人が、人のため、世の中のために働くんです。会社だって、結局は物やサービスを売って世の中の人々に喜びを与えることが仕事でしょう。だからあらゆる仕事が客商売なわけです。それを誤って、自分のために金を集めようなんて考えを持つから逮捕されるヤツが出るんです。では、自分に実力がないくせに人を幸せにできますか。その実力をつけるためにわれわれは教育を受け、勉強するんです。

BRAIN の生徒たちも、安藤百福のように目先のことだけを見ないで、人のため、世の中のために存在できる人間になってもらいたいと切に願っています。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.74

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