佐野画伯通信 No.6

BRAIN中学部部長 佐野新一 2003.11.18 BTI.No.61より

あれは、数ヶ月前のことです。「健全な青少年に悪影響を及ぼす(子どもが例の男の真似をする)ため、BTIに例の男の話を載せるのは、もうやめてほしい。」「神聖なるBTIを汚染するウイルスをすぐに駆除せよ。」という内容の投書がBRAIN に殺到し、BTI編集長は頭を痛めていました。BRAIN には、例の「疑惑の男シリーズ」を何より楽しみにしている熱狂的なファンも、ごく一部とはいえ存在するのは事実です。しかし、私の渾身の取材レポートも、大BRAIN 帝国憲法の規定「BTIハ神聖ニシテ侵スベカラズ」に違反する疑いが拭い切れない以上、寛大なBTI編集部としてもこれ以上の連載を断念せざるを得ませんでした。ここまで酷評されては、私も考え直さずにはいられません。

ところで、最近、大王が純文学を生徒に読ませ、受験生の心を癒しているのをご存知ですか。 その姿に感銘を受けた私は大王を見習い、ある決意をしました。この機会に私も新境地を開拓し、イメージ・チェンジを図ろうと。 そこで、今回はその第一歩として、私が最近数年間に通勤列車内で読んだ本の中から「お気に入り」の一冊をご紹介しましょう。 山奥に住む私にとって、BRAIN までの通勤時間は貴重な読書の時間なのです。あれっ?なぜそんなに驚くのですか。 さては私を誤解していますね…通勤列車内ではいつも泥酔状態で眠っているはず…なんて。 そういえば、私なぜか最近、人からよく誤解されるのです…(「当然じゃろう!」大王談)。

さて、本題に入りましょう。今回ご紹介するのは、後藤健生『サッカーの世紀』(文春文庫、2000年)。
「やっぱり…BRAIN 屈指(唯一?)の不良教師が好む本なんて、どうせそんな程度のものだろうと思った。」 「もっと教師らしく、子どもの教育上プラスになる読書案内を…。」そんな声も聞こえてきそうです。 では、そうした類いの批判を予め想定しているにもかかわらず、あえて本書を推すのはなぜか。
簡単なことです。先行き不透明な厳しい時代を生き抜いていくには、前途有望な世界を少しでも知って、元気をもらうことが大切なのです。 私の見るところ、そのひとつはサッカーです。今回ご紹介する一冊は、サッカーの世界への最適な入門テキストに値するばかりか、 世界の代表的な国や地域に関する一種の比較文化論としても読め、ものを考えるヒントをいくつも与えてくれます。 特に、サッカーに関心のある高校生や大学生には、必読書として推薦したいですね。また、たとえサッカーのことはほとんど知らなくても、 スポーツというものに強い関心(これがないと難しいかも…)があり、高校生レベルの学力(特に、社会科の基礎知識)をある程度身につけていること。 この2つの要件を満たしている人であれば、本書の内容を楽しむことは十分可能です。
ですから、残念ながら小学生には無理です。中学生でもまだ難しいでしょう。ただし、本書との出会いをきっかけに関心の領域がぐっと広がり、 将来国境を越えた視野を身につけるのに不可欠な世界地理や世界史、外国語などの学習に熱心に取り組むようになる可能性は期待できます。
また、特に課題図書が指定されず、普段読書習慣のない高校生なら、この本で読書感想文を書いてしまうのもアリかもしれませんし、 社会科や総合学習のレポートを作成する際に、本書で紹介されたテーマを自分なりに掘り下げてみるという手もあります。 担当教師からどんな評価が下されるかなど気にせず、時には新しいことに挑戦することも大切でしょう。

では、ここで内容について少しだけ触れておきましょう。本書は、序章~第十六章、それと文庫版のための特別対談で構成されています。 ちなみに、私が最も衝撃を受けたのは「カルチョは都市国家の戦争」と題された第六章。イタリア人のサッカー観についての長年の謎が、 ついに解けました。それは嬉しかったですよ。2000年の晩秋のある日、列車の中でこの章に出会った私は、思わず目から鱗が落ちました。 1対0で勝つことを理想とするあのイタリアの守備的なゲーム運びは、 長い歴史の中で培われた彼らのリアリズムないし知性を反映したサッカー文化だったのですね。
今、プロ・サッカーは最もグローバル化が進んだ、最先端の世界のひとつと言っていいでしょう。 世界のどの国や地域にも選手の働き場所があるため、 選手は自分の希望するプレー環境(所属チーム)を求めて容易に国境を越えることができるからです。 このこと自体は良いこととして受け取っていいでしょう。ただ、その行き着く先はどうなるか? プレーのスタイルは地域の多様性が失われて均質化し、国際試合は魅力に乏しくなっていくのではないか。 私はかつてサッカーの未来について疑問を持ったことがあります。
ところが、現実はどうでしょう。なかなかそうはなりません。イタリアを例に挙げるまでもなく、 強豪国と認められているチームほど自分達が共有する思想(人生観や美学など)をプレースタイルに反映させ、頑なにそれを守ろうとするのです。 つまりは独自のサッカー文化をすでに共有しており、それを捨ててまで勝とうとは思わないのですね。 世界は必ずしもグローバリズム一辺倒にはならない。ローカリズムはなかなかしぶとい。世界はなんと広く、多様なのでしょう。 まるで現実の世界が投影されているとは思いませんか。私がサッカーから目が離せないのは、その辺りの面白さを知ってしまったからなのです。

他にお奨めできるのは、アメリカ人がサッカーを嫌う理由について分析している第十二章、日本人の弱点について言及した第十四章あたりでしょうか。 これらの論点は、細部において多少の疑問は残るものの、大筋では私がこれまで漠然と感じてきたことをうまく整理し、 代弁してくれているように思います。もし、序章から順に最後まで読み通す気になれない場合、 まず上記の3つの章からスタートしてみるのもいいでしょう。そのうちに他の章も気になって、知らず知らずのうちに引き込まれ、 結局全部読んでしまったりして…。もちろん、この一冊を読破しただけでサッカーの世界の全てがわかるはずもありません。 しかし、少なくともサッカーの国際試合を観る目が自ずと肥え、サッカーを語る際にある程度の理論武装ができることは、私が保証します。

いかがでしょう。何だか気になって我慢できなくなってきたら、書店に足を運んでご覧になってください。495円プラス消費税で手に入ります。 もし置いてなければ、私の本を貸してもよいですが…何者かに酒をこぼされてしまったため、 紙は酒の染みとシワだらけ…(「人のせいにしないこと」大王談)、それでもよろしければどうぞ。 ただ、人によってはこの本はかなりの毒を含んでいると感じるでしょうから、私とは全く正反対の感想もあり得ます。
「こんな野蛮な価値観は到底受け入れられん…日本の良き伝統をぶち壊そうというのか?」 「これは不良…いや、それどころか非国民養成講座じゃないか!」「日本にはサッカー文化など根付かないほうが望ましい!」というふうな。 そして、極めつけの感想はこうです。
「かわいくて素直な我が子がこんな本に夢中になったために、将来、例の男のような危険人物に育ってしまったらどうしましょう…。」

最後に、ひとつだけお断りしておきます。今回私がこの一冊をご紹介したのは、 サッカーに全く関心のない人を悪の道に引きずり込もうというのではありません。 私がBRAIN の誇る(?)専任講師のひとりであることをお忘れなく…。 繰り返しますが、本書のいくつかの論点に今の社会の閉塞状況を打開する可能性がかすかに見出せること、 また、偶然手にした一冊で長年の謎がついに解けたという何ともいえない喜び(これだから読書はやめられませんね。 純文学とは異質の読後感ではありますが…)をご紹介することによって、私が「ただの酔っ払い」ではないことを明らかにしたかっただけです。

えっ?「只者じゃない酔っ払い」ですって?