リリー追悼

2003.5.10 BTI.No.55より

青春時代を思い出してしまいました。幼い頃から音楽に親しみ、将来は音楽家になると思っていた青春時代…。ベートーヴェン、ブラームスなどドイツ音楽が好きで、高校に入り、英語ではなくドイツ語を選択し、大学に入り、ドイツの音楽大学に留学を目指していたあの頃、若かったなあ~。

ドイツ音楽に浸り、中心はベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲、ショパンなどは青白い軟弱そのものの音楽としてしか捉えることができなかった傲慢な青春時代でした。ショパンのピアノなどは見向きもせず、たどたどしい中でもベートーヴェンやブラームスのピアノ曲しか弾こうとしなかった自分に変化が訪れたのも、その大学時代真っ只中だったのです。

ショパンのピアノ協奏曲第2番

198×年のベルリン芸術週間かルツェルン音楽祭のことでした。あの驚くべきショパンを聴いたのは。ピアノは当時ショパン・コンクールで優勝したばかりのポーランドの新鋭クリスティアン・ツィメルマン、そして、ベルリン・フィルハーモニーをヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮したショパンのピアノ協奏曲第2番でした。

このショパンのピアノ協奏曲第2番は、実は若書きの曲で10代の作品です。出版の関係で2番になりましたが、本来は、1番よりもかなり前に書かれた曲で、管弦楽の扱いもまずく、オーケストラプレイヤーを目指していた私にとっては、最低の印象を持っていた曲でした。

「カラヤンがこんな曲をやるのか」、「ツィメルマンのピアノはいかがなものか」などと思いながらも、このショパンのあとに、同じカラヤン&ベルリン・フィルで演奏されるプロコフィエフの交響曲第5番を聴くついでにFMをエアチェックしながら聞いてみました。

感動!!

驚いたどころではありません。感動しました。涙が出るほどの感動をショパンで受けてしまったのです。

プロコフィエフの5番は、それこそ凄まじい最高の演奏でしたが、ショパンそれをはるかに上回る快演であり、あの冷静なカラヤンのうなり声まで入った、力のこもる、というか、迫力などという言葉が吹き飛ぶほどの凄まじさ。オーケストレーションが下手なショパンの曲に、これほどオーケストラの力を見せ付けた演奏は、今後絶対ないであろうと思わせるものでした。

さらに、ツィメルマンのピアノ。世界一強烈な大音響を発するベルリン・フィルをも覆い隠してしまうような強烈な打鍵によるピアニズム。まさに、ピアノとオーケストラ、そして指揮者の3つの大きな力の塊が、正面からぶつかり合った演奏でした。

その中に、これでもかというほどテンポを動かし、吹き上げるロマンティシズム。恥じらいをもった一途の恋、燃えるような情愛、そして、目的もなく、あてもなくたださまようようなペシミズム、それとは逆に強大な力に対してわれを省みずまっすぐ突き進む破滅主義的感情。これら若者特有、というよりは若者だけに許される魔物に取り付かれたような感情を、心の底からむき出しにした演奏がこの演奏でした。

理性の破壊

勉強ばかりで、愛だ恋だなど馬鹿らしい、試験でいい点取れないと親が怖かった私は、大学に入っても心の中を堅く閉ざした人間でした。

ワーグナーは台本がひどい。不倫から近親相姦まで。理性では決して好きになれないワーグナーを、感情では抑えることができずに聞き入ってしまい、ワーグナーの世界にのめりこんでしまう自分。こういう自分が許せなかった大学時代。

しかし、ショパンのこの演奏会の録音によって、強烈なロマンティシズムに犯され、解放されついに、今までの理性の音楽に固まっていた自分を破壊し、感情の高ぶりを認めてしまった自分。このとき初めて、本当のロマンティシズムというものが分かりました。

リリー

時は流れていく。あの青白い青春のロマンティシズムなどは、とうの昔に忘れてしまいました。仕事に追われる毎日(酒ばっか飲んでるくせに)。そんなときリリーが亡くなりました。14年と50日。5月6日午後10時。悪性リンパ腫から、肺に転移し、ついには命を落としました。

生後すぐもらいうけたリリーは、私たちが突然マンションに住むことになってしまったので、飼うことができず八王子の妻の実家に預けられました。実家は実家で両親が年寄りだったので、長くはいられず、リリーは私の板橋の実家に移ります。ところが、そこにも長くいることが出来なかった。

世話をしていた私の母の突然の死。ひとり残された父の手に負えないリリーは、またまた、八王子の妻の実家に逆戻り。そこで世話をしてくれた老齢の義父も病気で亡くなり、リリーはどこにも行き場がなくなってしまいました。

飼い主の都合で…

可哀想なものです。結局、飼い主は飼うことができず、飼い主の都合であちこち引っ張りまわされたリリー。これ以上、つらい目にあわせたくないと思い、リリーはBRAIN の犬になりました。やっと私の手元におくことができました。でも、夜は一人ぼっちです。毎夜、リリーにほえられながら逃げるようにBRAIN をあとにします。

そして2年。病気の発覚。リリーが肺癌と聞かされた私は、頭の中は真っ白。何も考えることはできませんでした。まともに一緒にいることもできず、私の都合であっちこっち引っ張りまわし、最後は癌です。罪の意識以外の何物もありません。最後は、リリーとずっと一緒にいよう。そして、リリーのためにマンション生活をやめ元の八王子の家に戻りました。

ショパンが流れる

リリーの部屋は私の部屋です。寝る場所も私の布団の中。朝起きると、長い枕の隣にはリリーの頭が乗ってます。いびきかきながら。でも、それも1ヶ月くらいだったでしょうか。最期も私の布団の中でした。

安らかでした。私も珍しく風邪でBRAIN を欠勤している夜でした。本を読みながら、ふとリリーを見てみると、呼吸はしていませんでした。これで、嫌いな薬をもう飲まないでいい、つらい咳もしなくていい…。良かったね、リリー…。涙が自然とこぼれてきます。長い間リリーをなでてあげました。それから家族に伝えて、花で周りをいっぱいにしてあげました。

結局、飼い主らしいことをしてあげたのは最後の1ヶ月だけでした。リリーは幸せだったのか…。そう思うと、胸が締め付けられます。今日、リリーを八王子の庭に埋めました。今、聴いている音楽は昔のテープに録音されたもの、あのショパンのピアノ協奏曲第2番です。

もう一度、リリーを抱きしめてあげたい……