十字軍の王シグール

この長々と続くコロナ禍の中、さらに梅雨ももうそこまで。じめじめぐたぐた嫌な日々は続きます。皆様いかがお過ごしのことでしょうか。

不要不急

このところ、日本史の授業で使うようにと日本近代史の資料を作っているのですが、どうも気になることが多く見受けられるのです。このコロナの世の中、政府や都などの役所の動き、国民への働きかけなどが、どうも太平洋戦争時とほぼ同じにように感じてしまうのです。

「不要不急の外出を避けましょう!」。これ、まるで戦争中と同じ言葉なんですよ。というか、当時のスローガンに「不要不急の旅行はやめよう!」などというポスターがあったのをご存じですか? 

「不要不急」なんていう言葉を、今までの生活の中で使ったことがありますか? 戦時中以来、久々に登場した言葉が「不要不急」なんですよ。

東京オリンピック・パラリンピック

世論調査では国民の7割がやめるか、延期しようと言っている東京オリンピック・パラリンピック。あーそれなのにそれなのに、オリンピック・パラリンピックを強行しようとする政府や東京都。

これこそ太平洋戦争末期の日本と全く同じです。戦前最後の内閣総理大臣であり、和平主義者の元侍従長鈴木貫太郎は、昭和天皇の意志を汲み取り、戦争終結に向けて数々の和平工作を進めていた。ソ連には和平交渉の仲介を依頼しようとまでしていた。

そんな鈴木貫太郎の平和への行動とは裏腹に、「一億玉砕」と叫んで本土決戦に突き進む陸軍。結果はご存じの通り、広島、長崎に原爆投下。講和していれば何十万もの命を失うことはなかった。

陸軍の暴走と、今の政府、東京都が重なって見えるのは私だけではないでしょう。

芸術は「不要不急」か?

「不要不急」、つまり、なくても生きていけるもの。それは音楽、絵画を始めとする芸術かもしれません。現実、このコロナ禍で、演奏会はほとんどなくなり、美術館は閉館、映画も演劇も見に行けない。まさに芸術は「不要不急」の王様みたいな扱いをされてきました。

音楽で考えてみましょう。演奏会のなくなった演奏家たちは生きていくことはできますか? 演奏家が生活できなくたって、他人様にはまるで関係ないでしょうが、演奏家にとって見れば、演奏会は「不要不急」のものじゃない。生活を支える大事なものなんです。

つまり「不要不急」というものは、立ち位置によって変わってくる。それを一緒くたにして「不要不急は避けましょう。」なんていいんでしょうか。ふざけるな! と私は言いたい。

早太郎に会ってきました!

5月6日は、私にとってもBRAINにとっても、とても大切な日です。18年前のこの日、BRAINの犬、リリーが亡くなった日でした(2003年度BTI55号を)。

今年のリリーの命日、蓼科にいた私は翌5月7日に久しぶりに、早太郎に会いに行くことにしました。リリーの冥福を祈り、初めてトップ君を早太郎にご挨拶させるためにです。

光前寺

雲一つないドピーカン(ドピーカンなんて知ってる?)。蓼科山荘から1時間半、トップ君を車に乗っけて信州駒ヶ根の光前寺に行ってきました。

光前寺は皆さん、行かなければいけませんよ! 是非行きましょう。霊犬早太郎はこの光前寺に眠っています。境内には早太郎のお墓、銅像もあり、本堂には早太郎の木像(触っていい)。早太郎関連グッズも豊富。ちなみに早太郎のことは2010年度BTI112号をご覧ください。

早太郎のお話は、とても切ない話ではありますが、同時になぜか私たちに勇気と希望を与えてくれる話でもあります。トップ君と本堂にある早太郎の木像を触りまくり、お墓ではトップ君と一緒に、犬たちみんなの健康を祈り、天国のリリーのことを早太郎にお願いしてきました。

光前寺は、早太郎だけではありません。「ひかりごけ」が自生している美しい苔に覆われたお庭や参道。三重塔など本当に素晴らしいお寺です。是非是非お参りに行きましょう!

十字軍の王シグール

光前寺からの帰り、ノルウェーの作曲家グリークの『十字軍の王シグール』(ちなみにドイツだとジークフリートのことです)が流れています。もちろん、グリークの『ペール・ギュント』は知っていますが、その他の曲と言えば『ピアノ協奏曲』くらいで、あとは何にも知らない、そんな程度の作曲家でした。

ところが、光前寺の帰り、シグールの3曲目、凱旋行進曲に私の心は捉えられました。「凱旋」だから派手派手しい曲かと思いきや、しっとりとした美しい曲でした。本当に涙が出ました。

金管楽器のファンファーレ。そしてチェロの奏でるなぜか懐かしさをも感じさせる、美しくも悠然たる旋律、その旋律はヴァイオリンに引き継がれる。ホルンがソロを奏でる。ホルンのソロはその後の弦楽器の喜びに満ちた響きを引き出す。そしてトランペットのソロ。トランペットのソロは、オーケストラに力を与え、心をかきたてる。

弦楽器を主体とする、せつなくも美しい主題が繰り返し繰り返し現れる中間部。そして再びファンファーレ。曲は初めの部分を繰り返し、終結する。

王シグールの凱旋を心待ちにしていた国民たち。シグールは国民に愛される王だったのでしょう。この曲を聴けばわかります。北欧の作曲家グリークの名曲中の名曲といえるでしょう。

幸せとは

どんなに悲しいことがあったとしても、このシグールは、心に「幸せ」を導いてくれる。

世の中で一番つらいことは「死」の別れでしょう。本当に辛い。私は母を交通事故で亡くしました。本当に辛かった。今でも事故を思い出すと涙が出る。母に関しては「交通事故死」という「辛い」ことしか頭に浮かばないんですよ。

駒ヶ根の帰りに聞いたシグール。涙が出ました。なぜかおふくろのことが思い出されたのです。しかも辛いことではなく、「よく怒られたなー」「雑巾で顔拭かれたなー」などなど。いい思い出(?)が湧き出るわけですよ。

毎日のように引っ叩かれたり蹴られたり、めちゃくちゃ危ない母でしたが、あの頃は幸せだったんだなー。なんて、シグールを聞いて思い出すわけです。

そうなんです。「辛い」思い出ではなく、あのときの「幸せ」を思い出すことができる。そんな曲がシグールでした。

芸術は「不要不急」のものなのか?

まるで逆ではないでしょうか。こういうときにこそ、芸術が必要なんではないでしょうか。

なぜなら芸術は、私たちが忘れていた「幸せ」を思い出させてくれる。私たちの乾ききった心に「潤い」を与えてくれる。そして「心の豊かさ」を私達に与えてくれるからです。

BRAINの生徒たちには、芸術を愛し、豊かな心を持つ人間になってもらいたいと思う今日このごろです。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.147

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