雪かきと民度

久しぶりの大雪でした。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

雪に弱く、積雪が5cm越えただけで麻痺してしまう東京です。ところが、今回はそれを圧倒的に越えてしまいました。武蔵野市でも積雪30cm越えて機能はほぼ停止、雪は23時で降り止んだのでよかったですが、もし、朝まで降り続いたらと思うとぞっとします。

皆さんも朝起きてびっくりしたと思います。今回の雪は、上空の気温も強烈に低かったせいか、いつもの東京のべちゃべちゃの雪でなく、さらさらでとっても雪質がよく、雪合戦をするもよし、雪だるまを作るもよし、かまくらを作るもよし、はたまたスキーをするにもとってもいい雪でした。

雪の始末

子供たちにとってはとってもいい雪でしたが、始末が大変です。翌朝の凍りついた雪ですべるすべる。一旦軽く溶けた雪は夕方からは氷になる。まあ、すべることすべること。この時期言ってはいけない言葉ですが、本当に滑りすぎるくらいすべること。このくらい言っとけば、もう受験生諸君は滑らずに済むと思うので頑張りなさい。

翌朝、愛犬トップ君を連れてお散歩です。30cmも積もった雪に、埋もれてはぴょんと跳び、埋もれてはぴょんと跳ぶ。とても可愛いものです(完全親馬鹿)。そこで気づいたこと。

雪かき

道に雪のないところ、雪の残っているところ。まだらにあるわけです。トップ君のお散歩は仕事を終えた午前4時すぎのこと。その時間にもう起きて雪かきをしている家があるのです。元気なおじいちゃん、おばあちゃんたちがたくさん頑張っています。

昼12時ごろ、この日2回目のトップ君のお散歩です。この時間になると、雪かきが済んだ家もたくさんありますが、やっぱりまだ雪かきをしていない家もあるわけです。新築建売一戸建ての家の前は、結構雪かきしていませんね。あと、雪かきしていないのは郵便受けに名前が書いていない中途半端な大きさのマンション前が多いですね。私の知り合いのマンションは、管理人さんだけでなく、マンション有志が10人くらいで一生懸命雪かきしていたそうです。ちなみにそのマンションの郵便受けにはちゃんと名前が書いてあります。

民度

雪かきをしている家としていない家との差は何でしょうか? こういうのが「民度」というものではないでしょうか? 見たところ、昔からある家の前は雪かき終わっていて、新興の家々に雪かきされていない家が多いのは事実です。中には旧家で雪かきしていないところもありました。でもここのおじいちゃんおばあちゃんは普段から毎朝5時には竹箒で家の前を、そして家の前の道を掃き掃除しています。そして毎朝、トップ君に「おはよう」と挨拶してくれます。

この家はもうお年寄りで雪かきがつらいのです。しかし、雪かきのできなかったおじいちゃんたちのいる家の前は、昔は近所の若い人が雪かきを手伝ってくれていました。今はそのおじいちゃんの家の周りは、まったく雪かきをしていない綺麗な新築一戸建てがたくさん建っています。そしてそこには子供用の自転車が付き物です。若夫婦か…。ここの家の子供は、多分わがまま放題で自分勝手になるんだろうなと思ってしまうのです。

雪かきの意義

家の前の雪かきや掃き掃除って何のためにやるのでしょうか? 自分だけが歩きやすくなればいいんでしょうか? 自分の家の前だけが綺麗になればいいんでしょうか? ただ自分の家のためだけなんでしょうか?

多分やっている人は、自分の家のためだけとは思っていないと思います。地域を綺麗にするため、別にそうも思っていない。ただの習慣でもない。じゃあ何だよー。そう、綺麗になると気持ちいいからでしょう。

管理人さんと雪かき

そういえば、BRAINをやる前にやっていた大手塾。大雪のとき、生徒がすべるといけないと思い、雪かきを始めると管理人さんが降りてきて「ありがとうございます」と二人で1時間くらい雪かきしてたなー。塾の教師は10人近くいたのに誰も雪かきを手伝いに来ません。その塾の室長も。管理人さんいわく「他の先生は来ないんですか?」…

そういう塾だからあっという間にダメになるわけです。その管理人さんももう亡くなってしまいましたが、あるときBRAINに入塾したいと言う生徒がきたのです。その生徒は、今は亡き管理人さんのお孫さんでした。生前「中原先生の塾に行け」と管理人さんから言われ続けていたそうです。人のつながりを感じたものです。

気持ちいい日本再び

ネットなどを見ると「日本は清潔な国だ」などと外国人から賞賛され、外国人から「民度の高い国」と言われることも多いようです。しかし、そんなことはありません。「民度」の低い日本人はたくさんいます。特に若い家庭に多いような気がします。そしてその「民度」の低い家庭の子供たちも、間違いなく「民度」の低い人間になるでしょう。

しかし本当は「民度」など関係ないのです。「民度」よりも大切なこと。それは外国人も含めて日本にいるあらゆる人たちが気持ちよくなるような「日本」という国をつくりあげることです。もしかすると、そこに暮らしている人々がどれだけ気持ちよく暮らせるかの尺度が「民度」なのかもしれません。

BRAINの生徒たちには、いつでもどこでも気持ちのいい「民度100%」の「日本」を作り上げてもらいたいと思う今日この頃です。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.138

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