現代ワーグナー考

01.5.19 BTI No.32より

陽光まばゆいばかりの季節になりました。皆様いかがお過ごしのことでしょう。ゴールデンウィークも去り、気がついてみると、学校ではもう中間テストが始まろうとしています。
新学年になって初めてのテスト、特に中1にとっては初めての経験となります。勝手がわからず、苦労してるとは思いますが、対策授業に積極的に参加して是非好成績を取ってもらいたいものです。

ワーグナー

さて、5月といいますと、クラシック音楽好きの私にとっては欠かせない人物であるワーグナーの生まれた月です。

1813年5月22日生まれの彼は、70年の生涯の中で、巨大なオペラを書き続け、今までの歌が中心で、オーケストラはただの「ブンチャッチャ…」だったものから、弦の響き、木管のささやき、金管の炸裂する大音響に至るまで、すべての音に意味を与えました。

その上彼は、台本を自ら書き、その他演出、舞台設備、舞台衣装、照明に至るまで、いままでのプリマ(歌い手の中心の人)オペラから、総合芸術へとオペラそのものを変えた音楽史上突出する天才と言っても過言ではありません。

現在でも全世界の歌劇場で上演されています。ただ、演奏技術自体が難しいため、いつでもうまく上演できると言う代物ではありません。ほとんどの上演は失敗すると言ったほうが正解でしょう。

ワーグナー指揮者といえば

指揮者でいえば、昔は、クナーパーツプッシュ、フルトヴェングラー、ワルター、トスカニーニ、ベーム、カラヤン等がワーグナーの上演には力を発揮しました。現代においては、人間が小粒になったのか、大指揮者と言う存在はほとんどなくなり、ワーグナーを振ったら一番という指揮者もほとんどいないのが実情です。

その中でも、最近のワーグナー上演で成功している指揮者が、ピアニストとしても円熟の度を増してきたダニエル・バレンボイムです。

イスラエルのワーグナー

実は、今問題となっているのがこのダニエル・バレンボイムです。それでは、最近の朝日新聞の記事から抜粋してみましょう。

ワーグナーの演奏にNO

ヒトラーが崇拝したワーグナーの楽劇をイスラエルで上演していいのか。
この1ヶ月ほどイスラエルで国会も巻き込んで議論になった問題に、イスラエル芸術祭の理事会は11日、別の演目に変更するとの結論を出した。
芸術作品は作家とは切り離して上演、鑑賞されるべきだという主張が、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に加担した者を排除するという政治的な主張に屈した形だ。
プログラムは、ダニエル・バレンボイム指揮、ベルリン国立歌劇場による「ワルキーューレ」で、テノールにブラシド・ドミンゴ、ソブラノはデポラボイトの予定だった。
8日、国会が公演中止要請を決議した。それに先だって文化教育委員会は関係者を招いて意見を聞いた。そこに議論が集約されている。……
(エルサレム 川上泰徳)

賛否両論

これがその問題です。本当に不謹慎な言い方でユダヤの人の気持ちを考えると申し訳ない話ですが、 私がこれを読んだ感想は「まだこんな議論があったのか」というところでした。現実に第2次世界大戦を体験していない世代である私にとってこの事実は不思議です。私だけではないかもしれません。この問題についても賛否両論があったようです。

反ワーグナー派

1 ツブルン・オルレブ国会文教委員長
ワーグナーは理論家でもあり、その反ユダヤ的考えをナチスが採用した。
『表現の自由』もナチズムに関しては沈黙すべきだ。作家と作品は分けられない。

2 マタン・ビルナイ文化相
イスラエルには、ホロコーストを生き延びた人々が35万人いる。
彼らの多くにとってワーグナーはナチズムの邪悪を象徴する。その声に耳を傾けるべきだ。

親ワーグナー派

1 メナヒム・ツール作曲家協会会長
ワーグナーは恐るべき人物だが、天才だ。音楽と彼の世界観を同一視することはできない。
もし、コンピューターが反ユダヤ主義者によって生産されたら、それを買わないのか。

2 昨年この国で初めて公式にワーグナーを演奏したエフド・グロス氏
ホロコーストを生き延びた大勢の人が聴きにきた。指揮者も生き残りの一人だった。
ナチスはベートーベンやシュトラウスも使った。ワーグナーを禁じる理由はない。

3 ヨシ・タルガン・イスラエル芸術祭総監督
芸術作品は作者から離れて社会の財産になり、だれもがそれを鑑賞し、演奏する権利がある。
ワーグナー作品を禁じるのは、イスラエルの民主主義の矛盾だ。

さらに、タルガン氏はこう語ったそうです。

「ホロコーストが我々の社会に深く根ざしていることは認めねばならない。
上演をめぐって論議が起き、人々が問題に向かい合ったことは成果だ」

第2次世界大戦のことを知っていますか?

翻って、我々日本ではどうでしょうか。戦争責任・朝鮮併合・従軍慰安婦・靖国問題などなど、まだ問題に向かい合ってるとはいえないのではないでしょうか。

我々の世代、つまり子供たちに直接接している世代でさえ、あの第2次世界大戦については、知識もなく、さらには知ろうともしていないのではないでしょうか。原因は何でしょうか。世代の断絶、それによる世代間の対話の不足などもあるでしょう。しかし、そう簡単に原因がわかるとは思えません。

ユダヤ人と我々、ユダヤ教を生きていく上での柱どころか身体全体になっているユダヤの人たちと、宗教的にもあまり深くない人が多い我々との差と言うこともいえるでしょう。正直ユダヤの人たちの考えを100%理解することは我々には不可能なことかもしれません。

歴史の闇を葬っていいのか?

しかし、現実にイスラエルではこういう問題が起きています。起きているではなく続いていると言ったほうが正しいでしょう。この他にも世界中には、数々の紛争が起きています。イギリスでさえ、宗教戦争で多数の子供たちが銃を構えています。

我々も、60年程前には戦争の時代だったのです。それが無謀な侵略戦争であったのか、植民地を解放するための戦争であったのかは、私には結論付けることはできません。しかし、戦争で罪のない人の命が多数奪われたことは動かしがたい事実です。

歴史の闇と言われる部分を、闇として葬ることのないように、子供たちといろいろなことを話し、歴史を伝えることによって、子供たちには本当の平和を求めるような、考え深い人間になってもらいたいものです。