京都と仏像

寒いですねー。皆様いかがお過ごしですか。風邪やブタフルに負けずに受験生諸君、頑張りましょう。

冬の京都

さて、冬の京都に行ってきました。寒かったです。もちろん「神頼み」しに行ったわけです。例年は九州の大宰府天満宮にお参りに行ってきましたが、今年は京都の北野天満宮です。

ちなみに往復飛行機の大宰府と往復新幹線の京都は旅費、時間ともあまり変わりません。しかも、大宰府・京都とも一泊した方が旅費は安くなるわけで不思議なものです。せっかく一泊するので今回は「北野天満宮と京都の仏像」をテーマに京都に行ってまいりました。

学生時代の夏

母親の友人が大阪の法律事務所で働いていまして、真面目な私は(?)毎年、長い夏休みにそこに1ヶ月くらい勉強しに行ってたわけです。休みの日には、京大に友人がおり京都まで遊びに行くわけです。東山の「哲学の道」脇の路地に住んでいる友人に、銀閣から南禅寺まで東山界隈を連れ回され、東山には知らないところがないくらいになったのですが、その他の京都はまったく知らず、「仏像」はほとんど見ることがなかったわけです。

奈良は大仏をはじめ仏像がいたるところにあるので「仏像なら奈良、京都は寺の建物」などという認識で刷り込まれておりまして、今回はその「刷り込み」を打破しようと、事前研究をしっかりして京都に乗り込みました。

朝6時の東京始発「のぞみ」に乗り京都着は8時過ぎ、レンタカーを借りて走り回りました。まずは最澄由来の大原の「三千院」。京都駅から15kmくらい離れているだけなんですが山の中…。京都が盆地であるということを改めて認識しました。

三千院の阿弥陀三尊像

三千院境内にある小さなお堂「往生極楽院」。平安時代の寛和2年(986)に恵心僧都(源信)が建立したと伝えられる堂内には、国宝の素晴らしい阿弥陀三尊が…。阿弥陀如来座像を中心に、左に阿弥陀如来の慈悲をあらわす化身「観世音(かんぜおん)菩薩」、右に阿弥陀如来の智慧をあらわす化身「大勢至(だいせいし)菩薩」。

ここ三千院の菩薩は坐像、といっても正座でしかもやや腰を浮かせています。正座の仏像なんて見たことありませんが、この菩薩は阿弥陀如来の命を受け、亡くなった人を迎えて、今まさに極楽へ共に帰ろうと立ち上がろうとする瞬間の菩薩の姿なんです。これが腰を浮かしている理由です。感動しました。仏教は深いですよーーー。

関が原と血天井

次は三千院から徒歩5分の「宝泉院」。時は1600年。天下分け目の関が原の戦いです。家康は石田方と通じていた会津の上杉景勝の不穏な動向を察知し、奥州に向けて進軍します。京都の守りを徳川十六神将の一人、伏見城の鳥居元忠に任せます。任せるというのは正確ではないでしょう。死んでくれということです。

鳥居元忠は、たった1800の兵で石田軍3万を迎え撃つこともわかっていた。石田軍を足止めするために命を捨てるつもりだったであろう。喜んで家康の命を受け、家康ともども涙の別れの盃を取ったと言われている。

その後、関が原の戦いで勝利を収めた家康は直ちに伏見城に戻るが、1ヶ月も前に当然伏見城は落ち、鳥居元忠以下ほとんど全軍は戦死、城内には夥しい数の死体…。壊滅した伏見城の床板はいたるところ戦死した兵たちの血と脂が浸み込んでいた…。

家康はその伏見城の血のりがべったりついた床板を、京都のいくつかの寺の天井の板とし、彼らを供養した。その寺のひとつが「宝泉院」です。その血天井には、血のりの痕だけでなく人型まで残っています…。

京都のパワースポット

次は「鞍馬寺」。山を越え、また山の中。例の鞍馬天狗はあらわれないかなー。牛若丸が育てられ、修行した寺として知られています。ここは日本で唯一、宗教法人が鉄道といってもケーブルカーですが、鉄道事業を行っているということは鉄男、鉄子には知られた寺です。山の中を歩き回り、そちらの筋の方(オカルト系)には良く知られた「パワースポット」を多数発見し喜んでました。

ここは「毘沙門天」です。「尊天」と称し、宇宙の力を集めているのが鞍馬寺です。その後、一山越えた「貴船神社」。縁結びの神様です。縁といっても男女の縁だけではなく、人の縁一般の縁結びの神様です。お店とお客の縁だってあります。もちろん受験生と志望校の縁だってあります。こんな縁を結ぶのがこの貴船神社です。

落ち着いた北野天満宮

直径40cmはあろうと思われるお好み焼きを食べた後(「ジャンボ」という店)、いよいよ「北野天満宮」へ。「全員志望校に合格しますように」と祈願してまいりました。道真公、お願いします!!! 「え、道真公ってだれ?」などといっている人にはご利益はありませんので念のため。

しかし、大宰府と違って落ち着いたものです。大宰府は祈願待ち30分は当たり前なのに、こちらは皆さんあんまり慌てていないようで、人もまばらだったなー。昨年度のお礼もしっかりしてきましたのでこれで安心です。生徒諸君は安心しないでしっかり勉強しなさい!!

おかめの伝説

近くの大報恩寺というより「千本釈迦堂」と言った方が有名ですが、そこに参拝。おかめ伝説で有名です。

むかしむかし、日本一の宮大工の棟梁と呼ばれた長井飛騨守高次とう人がおりました。京都、千本釈迦堂(大報恩寺)の本堂の工事を頼まれた高次は、約二百人の職人を使い工事を行いました。しかし上棟式の前の日、大事な柱を一本、短く切ってしまったことに気づいた高次は、翌日の上棟式に間に合わないため悩んでいました。

その姿を見た、妻のおかめは一緒に悩み、頭からそのことが離れませんでした。その晩、おかめの夢に仏様が現れ「桝組みを組め」とおっしゃられたそうです。翌朝、おかめは仏様の言葉を高次に伝えたところ、高次は「それは名案である」と喜んで、一昼夜にして桝組みを作り、難なく上棟式を終えることができました。そして本堂は桝組みにしたことによって、より素晴らしいものとなり、住職も感動し「さすが、日本一の宮大工」と感謝されました。

ところが、完成後、また高次は悩んでしまいました。それは、日本一と言われる自分が、妻のおかめに仕事の指示を受けたことを、妻が他人に話したら恥をかくと思ったからでした。それを知ったおかめは、私がこの世から居なくなれば高次は安心するだろうと、川に身を投げ、この世を去りました。なぜ、妻を信じることができなかったのだろう、高次は悔やみました。

それ以降、上棟式の際には、おかめが日ごろ使用していた、くし、鏡、口紅、その他女性が使用する七品を、おかめの供養も兼ね、飾ることにしました。現在も、そのいわれを辿り上棟式が行われております。 おしまい

境内にはおかめ塚もあり、あのふくよかなおかめの像もあります。それだけでなく、千手観音をはじめとする多くの仏像も感動的でした。

その後まだ日が暮れるには時間があったので、京都議定書が交わされた超近代的な「京都国際会館」に行ってきました。完成して40年以上たっていますが、名建築家丹下健三の片腕と言われた大谷幸夫氏が設計した未来的なデザインには驚きます。新しい京都を作ろうとした氏の強烈な「念」を感じ取ることが出来ます。ちなみにウルトラセブンでなかなかセブンが倒すことが出来なかったキングジョーのときに出てくる建物です。なつかしいー。そして、ホテルでブラックニッカ1本飲んで寝ました。

まいった東寺

翌日は「東寺」です。新幹線からは近くに見えるのですが、なかなかいけず初の東寺です。

北島康介の気持ちになりました。「なんもいえねー」…。とにかく参拝してください。国宝、重要文化財の仏像の嵐…。講堂にいる26体の仏像、金堂の薬師如来、脇侍の日光菩薩・月光菩薩、そして、五重塔の素晴らしさ…。圧倒されたどころではないです。仏教の強烈な「念」に100回は殴られた気分です。行くしかないです。受験勉強なんてしている場合じゃない、すぐ行きなさい、なんて思うくらいの凄まじきパワーでした。お参りして、完全にまいりました…。

出ました弥勒菩薩半跏像

続いては聖徳太子創建の「広隆寺」。出ましたご存知「弥勒菩薩半跏像」。昭和35年、京大生があまりの美しさに抱きついて弥勒菩薩半跏像の指を折ってしまった、なんて事件があったくらいの美しさ。ただ呆然とするしかありません。あの美しさは犯罪かもしれないなー。その他の仏像も圧倒的…。自分のパワーは完全に吸い取られていく…。もうダメです。歩ける状態ではなく、堂内に立ちすくむだけです。本当にまいりました。

悲しき化野

そして、今回是非行きたかった嵯峨野の「化野(あだしの)念仏寺」。化野は昔の京都の風葬の地。風葬とは、遺体を風にさらし風化を待つ葬制で、境内の「賽の河原」にある約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治になって化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたもの。一つ一つの石仏・石塔には供養の念がこもっているんでしょう。あー、人生を考えてしまいます。

空也万歳

そろそろ帰りの新幹線の時間が近づき京都駅に戻ったのですが、まだ1時間あるということで、狙っていた東山の方に行ったところの「六波羅蜜寺」へ。こちらは歴史の教科書には必ず載っている「空也上人像」。僧が、口からみにちゅわ阿弥陀仏を六体出している超有名像です。そして「平清盛像」。これも教科書に載ってますねー。空也は修行者として諸国を回り、「南無阿弥陀仏」を唱えながら貧しい民衆のために道路・橋・寺などを造り、病人が出れば看病に走るなど尊い社会事業を行った僧ですね。あー、感動した。

人の「念」

結局3時過ぎの新幹線に乗って7時20分の授業からBRAIN へ。朝飯は、昼過ぎの新幹線の中でやっといただきました。あまりの京都の深さ、パワーに圧倒され、食べることなどこの私が忘れていましたよー。

今回の京都の10の寺社+1の近代建築探訪は、まだ20年(?)しかたっていない私の人生の中でも最も充実したもの、充実しすぎて爆発しそうな旅になりました。自分のやっていたことがいかに小さいことか、改めて痛感しました。

人の「念」というものは強いものです。仏像ひとつにも仏師たちの強烈な「念」が篭り、その仏像を祈る人々それぞれの「念」がそれこそ億、兆どころではない無量大数になるほど仏像には詰まっています。

今の私たちは、そんな「念」をもって生きているんでしょうか? ただなんとなく過ごしている時間の多いこと。仕事にしても、受験勉強にしても、普段の生活にしても、私たちはただ、流れに乗ってやっているだけではないでしょうか? こんなことでいいのか…。そんな自分が恥ずかしい。

受験生諸君よ!! しっかり自分を見つめ、自分の思いを受験にぶつけていこう!!!

BRAIN TRUST INFORMATION  No.107

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