危機意識

秋深まる…と書くはずだったのにこの暑さ。まだ冷房をつけている、かと思えばストーブでも出そうかというときもある今日この頃、皆様いかがお過ごしのことでしょう。急激な気温の変化に体調がついていかず、風邪をひく生徒の多いこと、体調には気をつけましょう。

中央線の工事

気候だけに限らず、ここのところいやに周辺で変化が多いこと。まずは阪神優勝(使っていいんでしたっけ?)ですね。現中2阪神ファンの橋本高穂君の小6時代の作文を思い出します。彼は、この小6時代の作文の中で「自分が生きているうちに優勝できるか心配です」と書いていましたが、よかったね。生きているうちに優勝できて。さらに、巨人の原監督の辞任。V9の川上元監督も球団フロントに対して不快感をあらわにしていました。さてさて、そんな中で一番三鷹にとって変わったのは中央線の切り替え工事でしょう。

9月27日の午後から始まり、終了予定は翌28日の早朝。実は楽しみにしていました。中央線は1本で1200人もの乗客を運ぶそうです。これを京王線・西武線で振り替え輸送し、プラス代替バスが三鷹から立川までを結ぶということでした。

1時間で上下線で約30本が走るということは、30×1200=3万6千人が1時間で移動するわけで、京王線・西武線に振り替える人が7割程度だとしても、1時間に1万人はバスを利用する計算になります。バス1台の定員を50人として計算すると、1時間に上下200台のバスが往復しないと間に合わない計算になります。つまり、40秒に1台のバスを発車させないと間に合わないわけですね。これは見ものでした。大混乱必至です。事実、三鷹駅北口があんなに盛り上がっていたのは見たことがありませんでした。

人間はミスをする

問題はここからです。大混乱することは事前にわかっていましたよね。当然ですよね。JRだって史上初といっていいくらいの大工事ですから、大変なのは当たり前、寸分の狂いもないくらいの事前準備、確認等をしていたはずです。思い出すのはみずほ銀行成立時の混乱でした。必ずミスがあるはずなんですよね。しかも単純な人為的ミスが。

人間はミスをします。ミスをするのが人間です。ミスをすることがいい訳ではありませんが、必ずミスがあるということは絶対否定できないでしょう。ではどうすればいいのか、ミスをした場合の、またミスが予測される場合の収拾策を、事前に考えておくことが必要ということになります。ミスは自分のミスだけでなく、他人のミスにより自分に被害が与えられることもあります。どちらかというと、こっちの方が問題が大きくなります。したがって、他人がミスをした場合に自分に与えられる被害が最小限で済むように、準備することが必要だという結論に達します。これが、危機管理能力というものではないでしょうか。

危険の回避

世の中何が起こるかわかりません。例えば夜、道を歩いていたら車に引かれた…なんていう話は日常茶飯事です。運転手は業務上過失でつかまります。さらに、損害賠償請求されるでしょう。でも、もしこれで死んでしまったら、運転手がつかまろうが、損害賠償で10億円とろうが、命は帰ってきません。

もし、歩行者が、暗い夜道を目立つ明るい色の服を着ていれば、車も気づいたかもしれません。歩道を歩いていたらなおさら危険度は少なかったでしょう。さらに道路からできるだけ離れて歩いていれば大丈夫だったかもしれません。

中央線工事も、やはりミスがあって予定を大幅に超えて、翌日は大混乱でした。新聞では、利用者の怒りの声が取り上げられていました。「海外に行くのに間に合わない」大変だったでしょう。海外旅行ができなくなったかもしれません。でも、文句を言う前に考えるべきではないでしょうか。ただでさえよくとまる中央線。こんな大工事のときは必ず何かある。では京王線で行こう。とか、成田に泊まって、危険を回避していこう、などなど。

文句を言う前に

ミスした人間に文句を言うことは簡単ですが、ここでちょっと考えるべきではないでしょうか。自分にも考えの甘いところがなかったか。

まだ記憶に新しい渋谷の小6の女子の監禁事件。犯人がいけないのは当然ですが、この少女たちには問題はまったくなかったのでしょうか。さらに、この少女たちの親には問題がまったくなかったのでしょうか。私は、渋谷や原宿などの繁華街に行くことは女の子にとっては常に危険がいっぱいであるという認識を持っています。いわゆる日本の恥部の代名詞が、渋谷であり、原宿、そして歌舞伎町、六本木などであると思っています。そこに小学生だけで行かせる親に問題はないのでしょうか。子供が言うことを聞かないからなどといって言い逃れをすることは簡単ですが、言うことを聞かないように甘く育てたのは一体誰ですか?

現代は、明治時代より前の時代と同じように、女の子の「商品化」がすすんでいるという危険認識を持っている親が果たしてどれだけいるのでしょうか? 原因の一端は小学生でも持っている「携帯電話」と、女子生徒たちのあの妙な制服姿にあると思うのは、私だけなんでしょうか?

子どもの自主性?

勉強だって同じことですね。将来に対して危険認識度を持つ子供と、持たない子供。何とかなると思っている子供。子供に、厳しい世の中の現実を教えることが親の務めであり、義務であると思っていますが、今、それが私たちの仕事になっているようで、最近どうも納得できません。

こちらが、将来のためにと勉強を教えて、それが定着できるように宿題等を出す。それに対して、「宿題が多くて大変だと子供が申しておりますので、何とかなりませんか?」という保護者の声がたまにあります。何なんでしょう? 一体。昔は「宿題どんどん出してください」「殴ってかまいませんから、いくらでも厳しくしてください」などという、本当に子供の将来を必死に考えていた保護者の方が多かったと思います。

「子供の自主性を重んじて…」という保護者の方も最近はいるようですが、子供は基本的に楽な方に流れるのが当たり前です。当然、例外はいますが、例外の子供は現段階でも、黙っていても一生懸命、勉強に、遊びに真剣になっています。そうでない子供に「自主性を重んじ…」といっているならば、子供の将来を真剣に考えていないということになります。

今回はかなりきついことを言ってしまいましたが、中央線の復旧が遅れて「海外旅行いけないかもしれない」などと自分の遊びのために文句言っている女子大生風の人間のように、危機意識がなく、自分を棚に上げて文句ばかり言っている甘っちょろい日本人が多いので、こんな文章になってしまいました。

権利を守る

ある法社会学者は言っていました。

「権利の上に胡坐をかいてるものは権利を剥奪すべきである」

自分の権利を守るといことは、他人の権利を守るということです。これが無くなると自分さえよければいいということになり、いずれ、ヒトラーのような独裁者が現われ、国は崩壊するでしょう。前回の通信でもお伝えしたように、現実に「ゆとり教育」によって日本の「一億総愚民化」政策は継続中です。

しっかりとした知識・智恵をもち、他人の痛みがわかり、その痛みを和らげることができるような権利の行使をし、住みやすい日本になればいいな~と思っている今日この頃です。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.60

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