琉球処分

新年明けましておめでとうございます。昨年は、暗いニュースというよりも、アメリカ同時多発テロのような驚くべき事件が多発した年でした。日本経済も相変わらずの不況続きで混乱を極めました。社会不安が蔓延した最悪の年だったといえるでしょう。今年は少しでも明るい話題があればと思います。

そのなかで、先日ちょっと面白いニュースを耳にしました。ある「村」が今年、「町」を飛び越えて「市」になるという話です。ところは沖縄県豊見城村。日本で初めてのことだそうです。

沖縄返還30周年

沖縄といえば、今年2002年は日本返還30年にあたる年です。喜ぶべきことか、悲しむべきことか、なかなか複雑な気持ちです。

中国への朝貢国であり、他国と戦ったこともほとんどない戦意のうすい琉球王国は、1609年薩摩藩によって、中国に篤く、日本には冷めているという「言いがかり」で征服されました。結局、薩摩・幕府への従属を強いられた一方で、昔ながらの伝統的な中国との関係も保つような二重の従属国家になってしまいました。

さらに、明治政府が発足したときも、琉球王国体制を廃して沖縄県を設置しようとした政府に対して、琉球は頑強に反対。琉球との今までの関係を理由に中国も激しく抗議。しかし、1879年春、政府は兵隊・警察官を動員して武力を背景に琉球王国の廃止と沖縄県の設置を宣言したわけです。これによって王国は滅び、琉球は日本の「沖縄県」になりました。

戦前の沖縄県民への差別

その後の日本政府の対応もひどいもので、たとえば、県民が参政権を獲得し、国政に県民を送り出したのは、帝国議会が開設されて22年目の1912年です。産業振興策も出さず、税金をとるだけ取った政府。産業といえばサトウキビ以外に換金作物を見いだすことができなかった沖縄は、想像を絶するほど貧しく、死を覚悟して毒のあるソテツの実までも食べたり、身売りに出される子供達も多かったそうです。

さらにひどいのは沖縄県民に対する政府・軍の差別意識です。沖縄連隊区司令部の報告書『沖縄防備対策』(1934)によると、沖縄社会の性格を

(1) 憂いの最大は県民の事大思想(長いものには巻かれろ)である。
(2) 依頼心が強く他力本願である。
(3) 一般に惰弱の気風がある。
(4) 古来任侠の伝統がなく、団結・犠牲の美風に乏しい。
(5) 武装の点でほとんど無力である。青年訓練所、在郷軍人においてすら銃器を有せず、有事の際の郷土防衛はきわめて困難。

と見ています。この差別意識が太平洋戦争時において、沖縄を日本国内で唯一の米軍上陸・地上戦にした遠因ではないでしょうか(はっきり行って沖縄ならいいやという気持ち)。さらに言語統制も厳しく、方言の使用をスパイ行為とみなし虐殺したとのことです。

沖縄をひどい目に遭わせた張本人は?

敗戦後、沖縄を見捨て、アメリカの占領を認めたのも日本政府でした。

1972年5月15日、米軍施政権返還というかたちで沖縄は日本への復帰が実現しました。米軍基地の存続が認められ、一部自衛隊の使用に供されて、軍事基地の問題は未解決のままに。

日本政府が沖縄復帰後に取り続けている姿勢は、基地問題の解決のための地方交付金の「大量ばら撒き」、大型予算の投入等です。かつての米軍政とどこがちがうのでしょうか。

昨年末、はじめて自分のルーツである沖縄に行き、ひめゆりの塔の前で悩みました。彼女達の尊い命を奪ったのは誰でしょうか。米軍なのでしょうか。私は、琉球の時代から沖縄の時代まで、彼らを踏みにじり続けた日本が、希望・前途あふれる若者の命を奪ったと思います。

正月早々暗い話をしてしまいましたが、とにかくこの沖縄返還30周年の今年、是非沖縄に行ってみてください(沖縄そばはうまかった)。切にお願いします。沖縄には、夢も望みもなく散った子供たちがたくさんいます。BRAIN の生徒たち、さらに日本・世界の若者達に、彼女達の代わりに、希望を持って、中途半端で終わることなく、しっかり前進してもらいたいと思う2002年正月です。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.40

前の記事

中原先生について

次の記事

佐野画伯通信 No.2