頑張れ! 沖縄

寒さ身にしみる今日この頃、皆様いかがお過ごしのことでしょう。

沖縄行って来ました

先日、受験で生徒たちが苦しんでいるさなか、私、沖縄に行ってまいりました。誠に申し訳ありませんでした。沖縄は気温20℃で、ジャンパーなど要らず、まったく信じられない世界でした。山に行っても、木の種類が違います。はっきり言って「ジャングル」でした。

海は海で東京湾ではありません。青や赤のカラフルな熱帯魚らしき魚が、すぐそこを泳いでいます。東京近辺の水族館に行って魚を見ても「おいしそう」などと思ってしまうこの脳には、「こいつら食べ物じゃない」といった反応しかありませんでした。酒も泡盛ばっかり。すべて東京とは違っていました。驚きの連続といっていいでしょう。

これで、あとは受験へ一直線。気合も入っての「帰国」でした。

世論調査からわかること

さて、話題は変わり「帰国」間もないふやけた脳に、考えさせられる記事が目に止まりました。内閣府が発表した「国民生活に関する世論調査」です。国民の65.1%が日常生活に「悩みや不安」を感じ、今後の生活が「悪くなっていく」と悲観的に考えている人も増えているそうです。働く目的も「お金を得るため」とした人が49.5%、政府への要望は63.2%が「景気対策」ということでした。

分かるんですが、どんなものでしょうか。働く目的が「お金を得るため」なら、日常生活に「悩みや不安」を感じ、今後の生活が「悪くなっていく」と思うのも当たり前でしょう。金満日本に慣れきってしまった昨今の日本人を象徴する今回の「国民生活に関する世論調査」だったと思います。

「将来的に安定するから」といって、大企業に就職。自己紹介するにも「○○会社で○長の○○○雄です。」と会社名をまず出し、そして肩書き。会社と肩書きがなければやっていけない人たち。表ではそんな肩書きを使いまくり、家では会社の文句ばかり言う人たち。こんな人たち周りにごろごろいます。それで仕事が楽しいんでしょうか。「お金を得るため」に働く理由がわかります。熱くないんです。情熱を感じないんです。この世論調査の結果を見ると。

見通しの甘さ

今回「観光客」として沖縄を訪れた際、はっきり言って不愉快さを感じました。夏ではないので泳ぐわけでもなく、本島をふらふらしたのですが、まず、道路行政のまずさを感じました。片側3車線道路などあるにもかかわらず、東京並みの渋滞の連続です。

原因は、鉄道路線がないためでしょう。戦前沖縄には鉄道がありました。うちの母は実は沖縄生まれで、代々沖縄に住んでいました。祖父祖母の話から、沖縄の鉄道の事を聞いたことは何回かあります。

戦後アメリカに占領されてから、本国アメリカは鉄道斜陽の時期にさしかかり、本格的な車社会が始まります。それとあわせ、沖縄も道路の重要性が叫ばれ、大通りが建設され、鉄道は排除されたようです。

ただ、アメリカと沖縄の大きな違いは、アメリカはどこでも広いのに対して、沖縄は人口が狭く細い地域に密集していると言うことです。曲がりくねった道路に、交差点の多さ、渋滞問題はすぐ起こるであろうと予測はできなかったのでしょうか。

事故の原因は

最近出た岩波新書に、バケツで放射性物質を移動していた例のJCOの大事件、その他、トンネルの落盤事故などのことが書かれていましたが、これらの事故の原因は、「学力の低下にある」と結論付けていました。

誰が考えても、バケツで放射性物質を移動、撹拌するなんて、危険どころの騒ぎではないことは明らかです。こんな判断力もなくなるような習慣性は恐ろしいものです。

沖縄道路行政に限らず、東京もしかり。将来を見通す予測力のなさは、大学で立派な都市工学科などがあるにもかかわらず、経験だけに頼り、目先のことしか考えない、学問を無視した考えの犯した罪といえるでしょう。

いま、沖縄では空港から市街地を通り、首里城の先までモノレールを建設しています。なぜ、その先の沖縄市(旧コザ市)、さらにその先の名護市まで延ばそうとしないのでしょうか。さらに、市民は、モノレールに反対している人が多いそうです。一家に一台車があるので、その必要はないという意見が多いとのことです。あ~あ。

沖縄のタクシー

不愉快さの2点目は、タクシーの運転手です。乗ったタクシーすべて(と言っても2台)がそうでした。観光客をバカにしている。遠回りされました。文句を言って、正規の料金だけ払わせました。「観光客はよく歩くけど、沖縄の人たちは5分でもタクシーに乗る」とか言うわけです。散々文句言って、びびってもらいました。

観光収入でもってることは、タクシーの運転手ならみんな分かっているはずです。それにもかかわらず、この態度。飲み屋でも、観光客一人一万円の店(風俗ではありません。普通の居酒屋です)があるそうです。何とかしようよ、沖縄。

何か、沖縄に行って、沖縄の人たちの熱いものを感じませんでした。冒頭の世論調査を見たときと似たようなものを感じました。「ちゅらさん」の堺正章扮する父親みたいに表面がのんびりしていて、中はあたたかい人が多いのでしょうか。でも、もっと熱くなって欲しい、沖縄。なんと言っても、私の血の半分は沖縄なのだから。

飲み屋の知人

今回は、吉祥寺のよく行く飲み屋「下駄屋」で知り合った沖縄人にいろいろ御世話になりました。彼は中学で鹿児島のラサールに入学するために沖縄を去り、そして、上京、一橋大学を卒業後、弁護士を目指しました。

塾の教師をはじめ、家庭教師などをしながら、必死に勉強し、何年かたって司法試験に合格した晩、みんなで朝まで飲みました。盛り上がりました。最後は、私の嫌いなカラオケまで行ってのご乱交。彼女とも、これで晴れて結婚することができ、幸せ一杯でした。私も、こんなに感動した夜は今までありませんでした。

その彼は、人生の半分以上を沖縄以外で生活したにもかかわらず「沖縄のために」と言って、沖縄に帰っていったのです。いま、彼は沖縄で熱く弁護士活動をしています。久しぶりに会って、彼の情熱が少しも衰えていないことを確認できたことが、沖縄に行っての何よりの救いでした。

熱い!!

BRAIN は企業ではありません。安定性もありません。生徒がいなくなれば消滅するだけです。「不安や悩み」当たり前です。毎日です。じゃあ、宣伝すればいいのでしょうか。違うでしょう。

教師が熱くなって、必死で授業して、生徒たちに熱さを伝え、生徒たちが熱くなって、目標目指して進むこと。こんな塾にすることが、一番やりがいがあり、楽しい仕事だと思います。生徒だって楽しいでしょう。

いい点取ることがすべてではないことは私だって分かっています。しかし、生徒が私たちの熱さを受け、必死で熱くなって勉強していい点取ってくれれば本当にうれしいです。頑張るしかないじゃないか。つぶれる時はつぶれます。でも、それまでは必死に自分の情熱を傾けるのが本当の姿ではないでしょうか。

これからも、年をとっても、死にそうになっても、ボケても、狂牛病になっても、絶対情熱だけは忘れたくないと思う今日この頃です。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.39

前の記事

佐野画伯通信 No.1

次の記事

中原先生について