東京遷都

うららかな秋晴れの頃、日増しに秋も深まるようになりました。皆さんいかがお過ごしのことでしょうか。

ペリー来航

さて、この原稿を書いている今日10月13日は久しぶりの13日の金曜日ということで、こんな日に原稿を書くのも何か妙な気分ですね。この13日の金曜日はキリスト教のお話ですが、ここ日本においては10月13日と言えば、慶応4年(1868年)のお話です。

1853年のペリーの来航から始まり、王政復古による徳川幕府の崩壊、戊辰戦争を戦い抜いての激動の15年が過ぎ、遂に明治天皇が江戸城へ入城し、東京遷都が行われた歴史的な日です。

幕末の偉人たち

この激動の15年は、倒幕に燃え立ち上がった薩摩・長州をはじめ、土佐・肥前などの偉人たち、さらに幕府体制を守り新しい統治体制を築き上げようとした幕臣の偉人たちが日本狭しと大活躍をした時期でした。

ここで、ペリーが来航した1853年時点での維新の偉人たちの年齢(当時の慣習で数え年で)を列挙してみましょう。

お歳はいくつ?

まず、倒幕派薩摩からいきますと、あの上野の山の西郷隆盛27才、明治新政府の中枢大久保利通24才、島津藩政の中枢として西郷隆盛・大久保利通を要職に就け、2人を維新の表舞台に引き出した大政治家小松帯刀19才。

私の長州では、松下村塾を叔父玉木文之進から引き継ぎ維新の志士を育て上げ、今なお地元では先生という敬称を付けて呼ばれる吉田松陰24才、刀を抜かずに政治的手腕で長州を動かし、維新を達成させた本当は剣の達人木戸孝允(桂小五郎)21才、松下村塾の四天王の一人と言われ病弱な体質をものともせず、柳生新陰流の免許皆伝を得、「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」といわれた激情家高杉晋作15才、高杉と同じく松下村塾の四天王の一人と言われ、さらには長州一の秀才の誉れ高く、蛤御門で情熱的で純粋な命を散らせた久坂玄瑞14才、元千円札で、日本の初代内閣総理大臣を務めた伊藤俊輔(博文)13才。

土佐では、幼少泣き虫でおねしょも多く「よばれ垂れ」といじめられ、学業もさっぱり冴えなかったのが、 姉の乙女にしごかれ一転維新の人気No.1と言われるご存じ坂本龍馬19才、龍馬とともに薩長連合に奔走した中岡慎太郎16才、早稲田大学の創立者、肥前の大隈重信は16才。

さらに幕府側の偉人たちでは、西郷・大久保・木戸達の偉人をして「東照権現(徳川家康)の再来ではないか」と恐れられた徳川(一橋)慶喜17才、新撰組の近藤勇20才、沖田総司などは10才でした。そして、江戸城を無血開城した老檜といえる勝海舟がやっと30代の31才でした。

維新を生き抜くこと

これら偉人の中で、この1868年10月13日の東京遷都まで生きていたのは、薩摩の面々と木戸孝允・伊藤博文・大隈重信・徳川慶喜・勝海舟だけで、西郷もこの後西南戦争で明治10年に、大久保も刺客によって明治11年に、小松は病気で明治3年に、木戸も西南戦争のさなか、西郷の身を案じながら明治10年で、それぞれ死を迎えました。

維新の胎動期から明治の安定期まで約20年を生き続けた偉人の少ないこと。極端に言って、土佐では、倒幕の御膳立てをした龍馬が33才で、慎太郎が30才で、維新半ばで死に、明治新政府の中心人物である後藤象二郎や、板垣退助が龍馬や慎太郎の死後、おいしいところを横取りしたようで、 なかなか維新を始めから終わりまで生き抜いた偉人が少ないというよりも少なすぎると感じられます。

高杉晋作

それにしてもこんな若い年で日本を動かした彼等には改めて敬服します。私が師と仰いで尊敬している高杉晋作は、伊藤博文・井上馨らののちの明治の元動たちを子分にしてイギリス公使館を焼き討ちしたり、師である吉田松陰の墓を正月早々掘返し遺骨をもって罪人が通ったこともない上野の黒門を強行突破したり、300年破られたことのない箱根の関所を白昼堂々突破したり、将軍家茂に「イヨー、征夷大将軍」と野次を飛ばしたり、農民や相撲取りを中心に奇兵隊を結成したり、4ケ国艦隊に長州藩が敗れたときなどは講和全権として武者人形スタイルで登場し領土租借を撤回させたり…。

好き放題やって好き放題になって、そして辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠み28才で維新完成を見ることなく死んでいきました。

時代が違うのか?

私など、もう○○才になっていますが、何ひとつろくなこともせず、家庭でもBRAIN でも粗大ゴミと化している次第。なんとも情け無いと思います。こういった維新の話でも生徒にしてやって、「おまえたちの年にはな~…、昔の人はな~…」などと言って、もっと大人になってもらいたいなどと言うと「時代が違う」とか「古い」とか言われそうです。当り前ですね、

携帯電話をおもちゃにして遊んでる子供たち、みんなと同じ顔にしか化粧できない女の子、髪の毛の色を変えて無駄な金ばっかり使ってる子供たち、コンビニの周りにたむろしてお互いを慰め合うことしかできない子供たち、テレビばっかり見て喜んでいる子供たち、読書と漫画を取り違えている子供たち…。

そういえば大人もそうですね。数の力しか使えない国会議員たち、金の亡者の銀行経営者・大百貨店のオーナー、法律を平気で破る警察官など、こんな大人が多いのに子供達をああせい、こうせいなどとは言えませんね。

10月13日の意味を考えよう

日本は幸せな国になりましたが、こんな国は日本しかないという認識をもって欲しいものです。せっかく幸せな国に生まれたんですから、精一杯自分の能力を引き出せるような子供たちに育てていくのが大人の使命と思っています。

ずるずると書きましたが10月13日の意味を改めて考えてみるのもいいことではないでしょうか。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.24

前の記事

「眺める」と「見る」

次の記事

宿題もやり方次第